らいおんさんです、

deusとは、
1つの絶対的な支配存在を
表現したラテン語です。

わかりやすく言えば、
「一神教のたった1つの神」
という感じです。

ただこの「神」という表現は、
日本語の本来の神という概念とは、
少し違ってきます。

万物に宿る神

本来、日本の神の概念は、
万物に宿る価値のようなものでした。

そのため全ての物質に、
それぞれの役割があり、
全てが神という存在でした。

 

車で例えていくと、
エンジンもタイヤも、
窓ガラスも、ボディも、
全てが大切な存在。という感じです。

日本の神という概念は、
そのような万物に与えられた役割価値
のようなものでした。

 

そこから西洋からキリスト教が来て、
deusの概念が渡ってきます。

このdeusというのは、
宇宙を創造し支配しているたった1つの存在。
というものでした。

それを当時の日本語に翻訳したのが、
当時の日本で使用されていた「神」
という言葉でした。

 

が、先ほどの説明を聞けば分かるように、
本来、日本の神という概念は、
たった1つの存在ではありません。

ですので、その翻訳の時点で、
間違いがあったと言えます。

おそらく、当時の「天皇」という役割、
天主という役割をdeusに翻訳して、
キリスト教の概念を日本に広めようと
していたのだと思います。

 

「天皇」という役割と言いましたが、
天皇という概念も、車の例と同じで、
1つの役割です。

国をまとめる役割概念、
職業の肩書のようなものとして、
「天皇、天主、君主、天子」
という概念が存在していました。

『人それぞれの長所短所があり、
それぞれが長所短所を使い合えば、
社会が上手く回っていく』
という発想です。

 

まあ天皇という存在は、
家系で日本をまとめていた存在ですから、
農民よりも政治ノウハウは持っています。

そういう意味で考えていけば、
天皇の家系が国のトップに立つのは
合理的な判断と言えます。

 

そこから天皇という職業を
支える存在として武士が生まれ、

武士による戦術ノウハウが作られ、
これまた職業として子孫に対して、
ノウハウが継承されていきました。

今でいう「後継(あとつぎ)」ですね。

役割分担の発想

このような発想は、
物事で良い結果を出す視点としては、
まあ確率的に見ても良いでしょう。

100%上手くはいかなくても、
政治のど素人が政治をやるよりも、
家系でノウハウを継承している人が、
政治を担当したほうが良いでしょう。

まあそういう理由から、
当時の日本の政治担当には、
天皇という概念、武家という概念が
存在していたと考えられます。

 

(農業のノウハウ熟知度に関しては、
天皇や武家よりも、農民のほうが上です。
それぞれの長所短所があり、それぞれが
協力していけばいい。という発想です。

この時点の発想としては、
全ての人間に何かしらの価値があり、
全ての人間が神のような存在である。
八百万の神が集まった国が日本と言えます)

 

そのような空間の中に、
海を渡ってキリスト教が入り、
deusの概念が運ばれてきました。

このdeusの概念は、
この世のものではありません。

deusは実在しない宇宙概念ですので、
目の前の現実を生きていた日本人には、
あまり合わない概念です。

 

ただ布教目的で来たクリスチャンは、
成果無しに母国に帰るわけにはいきません。

日本にキリスト教を広めることが、
渡航してきたクリスチャンの目的です。

おそらく日本にキリスト教を広めることで、
そのキリスト教を管理しているバチカン系が
権力を拡大したかったのでしょう。

 

そのような理由から、
どうにかして八百万の世界に対して、
1つの絶対的な存在概念を
理解させる必要がありました。

そして、そんなときに、
当時の日本で使われていた「神」という言葉、
天照大神などの言葉の使われてた「神」単語を、
deusに無理に翻訳していったと考えられます。

(「deusは例えるなら日本の神(役割)だよ」
という感じで伝えていった。という感じです。)

 

が、ここまで話したように、
西洋のdeusと、日本の神は別物です。

今では同じ言葉のように
解釈されている傾向がありますが、
それは誤解と言えます。

おそらく、そう誤解があるように、
狙って「神」という単語をdeusと
連結させていったと考えられます。

 

日本の世界観で見えていくと、
「神は価値」のことです。

なので全ての物質に価値があり、
全ての存在が支え合っているから、
八百万の神々、万物に神が宿る。

万物に価値があり、
万物が助け合って存在している。
という考えになるわけです。

これは島国で助け合って生きていた、
日本人特有の思想と言えます。

 

ただdeusの概念からすると、
全ての物質がdeusであるというのは、
ありえません。

deusは全てを支配し、
全てを超えるものですから、
万物にdeusが宿るなんてのは、
絶対に許してはいけないわけです。

まあこのdeusという概念は、
共存ではなく他者支配をしてきた
西洋の人間たちの思考から、
必然的に生まれてきた世界観でしょう。

deusによる支配、神による調和

deusの概念はピラミッド型です。
トップがいて、下を支配する。

神の概念は丸型です。
全ての存在に役割があり、
全てが存在して丸が成り立つ。

なので「神」という単語としては、
この世の全てが神である。
あなたも私も神(価値)である。
と言っても良いです。

なので現状世界における
「神=deus」という翻訳は、
日本本来の神という単語としては間違い。
と言っても良いです。

(まあクリスチャン目線で見れば、
「deus=神」でもいいですが、
日本本来の八百万の神々としては、
「神=deus、たった1つの存在」ではないです)

 

八百万の神々という言葉は、
「八百万の価値」と言っても良いです。

1つの物質は、
1つの答えがあるのではなく、
無限の可能性を秘めている。
という考え方です。

これは仏教的な思想、
全ての存在は空であり、
見方によって価値が変化する。
という発想にも繋がるものがあります。

 

ですがdeusの概念は、
「正しい答えが1つある」
という発想です。

この世は空などではなく、
宇宙誕生の瞬間から
絶対的な答えがあり、

それこそが正しく、
それ以外は間違いである。
という対立の発想です。

 

そのような絶対的な答え、
たった1つの答えがあるという
価値観だからこそ、

宗教観による対立が生まれ、
戦争になっていくわけです。

 

これがもしも、
1つの意見に対しては、
複数の見方がある。
という発想になれば、

まあ自分の意見と
対立する意見があったとしても、
そちらの意見も冷静に
見ていくことができるでしょう。

そしてお互いに話し合い、
着地点を見つけることが可能です。
(話し合い、調和ですね。)

 

そう考えると、
今の世界において必要なのは、
絶対的なdeusの概念ではなく、

大勢の価値観を尊重しつつ、
バランスを取って生活をしていく、
「神的な思想、八百万の神々的な思想」
と言えたりもします。

 

ちなみに先ほどから、
神という表現をしていますが、

これを無意識レベルで1つの存在、
deusで考えてしまっている場合は、

「神という単語=deus」
と刷り込まれている可能性が高いです。

 

ですが本来、言語としては、
「deusはdeus、神は神」
このように分けて考えたほうが
良かったりします。

そもそも言語が違う場合、
お互いの言語を翻訳し合うなど
無理な話です。

英語を覚えたい時などは、
それを日本語で理解するのではなく、
英語の概念で理解をしていくのが
良かったりします。

フランス語を覚えたい時は、
フランス語の概念で覚えていく。
中国語であれば、
中国語のまま覚えていく。

そこに日本語の翻訳は
混ぜていかない。という感じです。

 

deusはdeus、神は神。

お互いに表現している概念が
違っていると思ったほうが良いですね。

 

ただ、そういう言葉の部分に、
どこかの権力者層のたくらみが
隠されていたりしますので、
注意をしてみてください。

 

神という単語は、価値のことであり、
万物に神々が宿るという八百万発想は、

「万物に価値があり、それぞれに役割がある」
「全員が能力を発揮して助け合えばいい」

という「助け合いの発想」です。

deusによる支配の発想とは、
違ったものになりますので、
ご注意ください。

 

全ての人々が能力を提供し合い、
社会を成り立たせる調和の神世界と、

1つの存在deusによる支配、
そしてそこに支配される奴隷の世界は
別物です。

 

まあなので、
deus的な絶対的な存在は否定しても、

日本語の神という単語に関しては、
「コーヒーの神、笑いの神、
建築の神、筋トレの神、ナンパの神」
のように表現しても良さそうです。

そして普段、deusを否定している私も、
そういう表現方法、万物に宿る価値としては、
神(価値)という概念を楽しんでいたりします。

 

ただ今の日本で見ていくと、
「神という単語=deus的な概念」
と捉えている人が多いので、

deus概念を否定するためにも、
分かりやすく「神はいない」
と表現する時はあったりします。

 

まあこのように考えていくと、
「万物に神が宿る」という発想も、
「万物に価値がある」という意味で、
受け入れやすいのではないかと思います。

そしてこのような発想は、
抽象的な思考によるものですので、
これは脳科学的にいうと前頭前野の発達
によって生み出されるものです。

ですので昔の日本人のIQは、
とても高かったと考えられます。
(あくまで傾向の話です)

最後に

さて、そんな感じで。
今回は「deusと神」の違いについて
話してみました。

まあこういう宗教に触れる部分は、
賛否両論出てくる可能性がありますが、
あくまで1人の人間の意見という感じです。

ただ、人間社会を生きていくときは、
絶対的なdeus的な支配よりも、
八百万の神目線(人それぞれ価値がある)
で過ごしたほうが得が増えそうです。

 

今回の講義は、
あくまで視点の話です。

ネタの1つとして
楽しんでみてください。

 

らいおんさん

 

追伸1

ドイツ哲学者の言葉で、
こんな言葉がありました。

「言葉は存在の家」

これの意味を考えると、
『私たちは言葉を通して世界を認識し、
その言葉で作られた世界に住んでいる』
という感じです。

なので私たち人間にとって、
この言語というものは非常に重要です。

これは脳内情報の書き換えにも通じるものです。

 

追伸2

ちなみに私の個人的な意見としては、
「天皇」という概念はどうでもいいです。

ただの肩書、役割と考えれば、
別に天皇制じゃなくても、
大統領制のような新リーダーを立てても、
国を管理することはできるでしょう。

ただ、大勢の心理的負担を考えると、
日本で続いてきた天皇制を捨てることは、
それは大きな混乱を招くと思います。

なので人間社会レベルで見ていくと、
天皇制という制度を維持して、
大勢が生活できる場所を管理することは、
まあ悪いことでも無い気がしています。

社会が大きく混乱し、
秩序が激しく乱れるのに比べれば、
これまで続いてきた制度を残したほうが、
まあ損失などは少ないと言えるでしょう。

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