※今回の話はだいぶマニアックです。
簡単な結論は最後にまとめてあります。
(「超簡単にまとめると」の部分です。)
らいおんさんです、
「集合的阿頼耶識と、人類のカルマ」
今日はこれをテーマに
話していこうと思います。
(仏教的なお話です。
だいぶマニアックな話になります。
1回読んで理解ができなくても、
繰り返し読むと理解ができます。)
まず簡単に言葉の説明から。
「阿頼耶識(あらやしき)」とは、
私たちの脳内に保管されている全情報。
例えば、家の帰り道に赤い車を見た。
それが脳内に情報として保管されれば、
それは阿頼耶識の一部になります。
この阿頼耶識の情報の中には、
「自分が覚えていないもの」、
それも保管されています。
目や耳が自動的に認識し、
それが情報として自動的に
保管される場所が阿頼耶識です。
ですので生きている限り、
この阿頼耶識に含まれる情報は、
永遠に追加され続けます。
そしてカルマとは、
「行動、発言、思考」のこと。
自分の行動、発言もありますし、
他人の行動、発言もあります。
とりあえず、体の動き、言葉の動き、
心の動きが全てカルマになります。
一般的に?スピリチュアルでは
「カルマ」という言葉は
「悪いもの」と思われがちです。
ですが実際にはカルマとは
「影響を与える要素」のことであり、
悪い要素もあれば、良い要素もある。
という感じです。
例えば私がこうやって話すのも、
1つの「講義カルマ」です。
(発言カルマ)
そしてこのような発言カルマが、
あなたの脳みそ、阿頼耶識に入り、
それが「種子(しゅじ)」になります。
そしてその種子が何かをきっかけに、
行動に影響を与えて、
現実に作用していった時、
その種子の「芽が出た」
と考えられます。
そして良くも悪くも、
それが現実に大きな影響を
与えていけば、
「その種子の花が咲いた」
と言えます。
その花が良いものになるか、
悪いものになるか。
それはその種子次第です。
そして、その種子というものは、
カルマからも影響を受けますので、
「どんなカルマを受け取るか。
どんなカルマを発生させるか。」
そこにも私たちの未来が
左右されていきます。
集合的阿頼耶識と、人類のカルマ
そのような前提知識を話した上で、
この「集合的阿頼耶識」と、
「人類のカルマ」について、
改めて解説していきます。
「集合的」という言葉ですので、
これは「個人」ではなく、
「大勢の意識」ということになります。
例えば日本に住んでいる人は、
「日本人同士の集合的阿頼耶識」
を持っていることになります。
「日本で1番、大きい山は何か?」
と聞かれれば、まあ大体の人が
「富士山」と答えると思います。
このような共通認識が、
1つの集合的阿頼耶識です。
(人によって阿頼耶識情報は
違ってくるものですが、
そのように共通点を持っている部分、
それが集合的阿頼耶識です。)
さて、そんな大勢の日本人の
阿頼耶識情報に対して、
「富士山を世界遺産から外そう」
という「言葉のカルマ」が流れたら、
それが種子になり、芽になり、
いつか花が咲いて、議論や運動になり、
現実に作用することになります。
そして「その議論や運動すらもカルマ」であり、
誰かがその「行動のカルマ」を見ることで、
阿頼耶識に種子を受け取り、それが芽になり、
いつか別の花を咲かせるかもしれません。
(「議論や運動に対抗する」なども
「行動のカルマ」から影響を受けた、
別の「行動のカルマ」だったりします)
さてこのような感じで。
このように「言葉、行動、思考」、
それら全てがカルマであり、
自分の人生や、世の中に対して
影響を与えている。という感じです。
このカルマは連鎖し続けていて、
100年前のカルマ、
1000年前のカルマ。
それが今の地球にも
残っています。
例えばエジプトのファラオ。
ファラオの墓場や、黄金のマスク。
あれは当時のファラオが作らせたものですが、
それが今の世界にも残り続けています。
そして今の世界の人間の思考や行動。
そこにも影響を与え続けてますので、
「ファラオのカルマ」は今の時代も
生き続けていることになります。
一般的なカルマのイメージだと、
自分の行いだけが見られがちですが、
実際には人類全体で起こっているので、
これを「人類のカルマ」と呼びます。
これは今この瞬間も起こっているので、
止められるものではないですし、
「良いカルマ、悪いカルマ」の両方があるので、
全てが悪いわけではありません。
(例えば私の普段の情報発信も、
それで誰かの思考力がアップしていれば、
良いカルマになります。)
そしてそういう人類のカルマ。
それらが何かをきっかけに、
私たちの脳みその中に入り、
私たちの阿頼耶識、
そこに入り、種子となります。
そして大勢が共通の種子を受け取り、
芽を出し、似た思考になった状態が
「集合的阿頼耶識」です。
この「集合的阿頼耶識」、
「人類のカルマ」というものは、
あくまで「仮観(けがん)」の考え方です。
実際にそういう実体があるわけではなく、
「そういう影響がある可能性がある。
そういう思考状態になる可能性がある。」
という「可能性分析」の話です。
ただまあ誰かの発言や行動に影響を受けたり、
何かの情報がきっかけで大勢がパニックに
なったりすることは、実際にありますので、
それらも考え方としては参考になります。
さてそのような感じで。
私たちは常に阿頼耶識の中に、
何かの種子を送られていて、
かつ自分の発言や、周りの行動、
そういう部分からカルマを受け取り、
未来を左右されている。というお話でした。
なので、できる限り良い影響を受けて、
良いカルマを受け取り、作り出し、
毎日を過ごしていくことが大切。
という感じです。
悪いカルマを排除して、
良いカルマを吸収、生み出していけば、
そこから生み出される現実は
良いものになる可能性が高いです。
あくまで可能性の話で、
特にスピリチュアル的な話でも
無かったりします。
カルマカルマと話していると、
なんだか怪しい宗教のようですが、
(宗教が悪というわけでは無いですが)
ただこの「カルマ」という言葉は、
あくまで「影響」の別名称であり、
「りんご」を「アップル、アプフェル」
と呼ぶようなものです。
なので別に「カルマという言葉自体」は、
スピリチュアル的なものではなく、
「脳に影響を与えてくる要素のこと」
と覚えておくと良いと思います。
(スピ系に広がっているカルマの話は、
「悪いカルマ」に偏ってる傾向があり、
誤解が生まれやすいです。
実際にはカルマには、
「良いカルマ、悪いカルマ」の両方があり、
言い方を変えれば「良い影響、悪い影響」
の2つがある。という感じです。
そして良い影響を意識的に作り出し、
悪い影響を意識的に排除していけば、
当然、そこから作られる人生も
良いものになる可能性は高いです。
あくまでカルマというものは、
「発言、行動、思考」のことであり、
それらが未来の自分の生き方に
影響を与えてくる。という考え方です。
特にスピリチュアル的なものではなく、
実際には当然のことだったりします。)
SNSはカルマが流れている場所
カルマは「発言、行動、思考」、
これらの影響のことですので、
言葉が大量に流れているSNSは
「カルマが大量に流れている場所」
と言えます。
例えばエックスなどで、
誰かの発言を見て、影響を受ければ、
その発言カルマが阿頼耶識の中に入った。
ということになります。
そしてその発言カルマが種子になり、
何か思考に変化が起きれば、
その種子の芽が出た。
ということになります。
そして行動に変化が起きて、
現実に影響を与えていけば、
その種子の花が咲いた。
という感じです。
そのカルマの影響が良ければ、
良い結果が生まれます。
良い種子をもらえれば、
良い現実を作れます。
逆に悪いカルマを受ければ、
悪い結果を作ってしまいます。
悪い種子を受け取れば、
悪い現実を作ってしまいます。
SNS、関わる人間関係、身を置く環境。
その全てがカルマです。
そして受け取るカルマ、
また自分が生み出すカルマ次第で、
未来が変化していきます。
阿頼耶識に入る種子も変わり、
その種子次第で、咲く花(結果)も
違ったものになってきます。
なので充実した人生を作りたい場合は、
できる限り良いカルマを受け取り、
また自分も良いカルマを生み出すことが
大切になってきます。
そして阿頼耶識に受け取る種子、
これも良いものを受け取ることを
意識することが大切になってきます。
今の流れは良いものなのか。悪いものなのか。
これらで大切なのは「流れ」です。
この「流れ」というのは、
「情報の流れ」でもありますし、
「影響の流れ」でもあります。
見える情報、周りからの影響、
聞こえてくる言葉、自分の習慣。
そういう「自動的に続く流れ」が
良いものなのか、悪いものなのか。
その流れを良いものにすれば、
自動的に余裕のある生活になり、
自動的に健康なカラダになり、
自動的に楽しい思い出が増えていきます。
逆に流れが悪いと、
お金に苦労したり、恋愛で苦戦したり、
仕事で悩んだり、余裕のない生活になり、
生きづらくなったりします。
この「流れ」というのは、
別にスピリチュアルの話ではありません。
簡単に言えば、
「水をちゃんと飲む→体が潤う
→健康になる→生きやすくなる」
みたいな感じです。
「学びに投資する→知識が増える
→問題解決が早くなる→人生が充実する」
みたいな繋がりです。
そういう良い流れ、
そこを意識して作っていけば、
あとは自動的に良い結果が
手元に運ばれてきます。
逆に、悪い流れを作ると
「愚痴が多い環境→悪影響を受ける
→自分も愚痴を言う→嫌われやすくなる」
となったりします。
なのでこの「流れ構築」は、
楽しい人生を過ごしていくために、
かなり重要な要素になってきます。
ぼーっと過ごしていると、
環境に流された生き方になります。
それが悪いわけでは無いですが、
ただ「良い人生を作りたい」場合には、
環境には注意したほうが良いです。
環境に流されて生きていると、
「こんなはずじゃなかった」
と思うような人生になりがちです。
楽しい思い出の多い充実した人生、
お財布にも、心にも余裕のある生き方。
周りと笑顔で楽しく過ごしていける。
そういう人生を作りたい場合には、
この「流れ」を改めて意識すると
良かったりします。
(「Think on Paper」というものがあり、
簡単に言うと「紙の上で考える」
という意味です。
考え事をするときは、
紙に書き出して考えると、
思考の質がアップします。
「人生の流れ」を考えるときも、
紙に書き出して見ると
分かりやすかったりします。)
最後に
という感じで。
今回も仏教的な視点を
話していきました。
集合的阿頼耶識と、
人類のカルマ。
だいぶマニアックな?話だったので、
少し頭が疲れたかもですが、
理解を深めると、さらに人生を
楽しみやすくなったりします。
(また、周りよりも有利に動けます)
カルマの考え方に関しては、
正しい視点で学習すれば、
スピ要素なしで理解できます。
スピが悪いわけではないですが、
カルマについては誤解もあるので、
正しく理解して、上手にカルマを
管理していくと良いと思います。
(カルマカルマと話していますが、
これは「影響を与える要素」を、
3文字で表現した「ただの単語」です。
「現象情報を入れた箱」
という感じです。)
さてそんな感じで。
少し抽象的な話だったので
難しく感じたかもですが、
3回4回と読んでいくと
理解が深まっていきます。
1回読んで理解できなくても、
繰り返し読んでいくことで、
必ず理解できるようになります。
超簡単にまとめると
「良い影響を作り、もらって、
悪い影響を避けて生きていこう」
って感じですね。
らいおんさん
追伸
ちなみに。
「カルマはある」とだけ話すと
「気持ちわりい」と思う人も
チラホラいるかと思います。
ただ今回の説明を聞けば、
「カルマ」は表現の1つであり、
「実際は影響のことである」
と理解ができると思います。
そのように理解した状態を
「智慧(ちえ)がある状態」
と言います。
そして理解していない状態、
それを「無明(むみょう)」
(理解する力が欠けた状態)
と呼んだりします。
引き寄せでも、自己啓発でも、
無明の状態で過ごしていると、
間違えた方法を正しいと思い実践し、
苦労が増えるので注意が必要です。
そういう無明情報も多いので、
ご注意ください。(潜在意識etc)
(現状維持、過去を固定することになる)
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